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電車の中で思ったこと [雑感]

こんな奴らが精神であり自己自身を持ったところで何の意味があるのか
神の前に立つ自己を、そのような自己を人格的に意識した生き方を始めたところで何だというのか
こいつらに仏性があるからどうだというのだ
こんな汚らわしい奴ら
こんなカスどもに信仰の光を当ててどうしようというのだ?

小学校高学年から中高生とか大学生とか若造とか小学校低学年とか、むかつく。
自分らの世代中心に生きている様子がむかつく。
学校のクラスとか塾とか部活とか自分の所属している集団のほかはTVとか雑誌(それもエンタテインメント系)の話題以外には興味がなく、興味がないばかりか関係ないと思っている様子。
他人を精神として扱っていないその様子に腹が立つ。
こいつら学校のことと家のこととお笑い芸人がどうしたこうしたとかしか興味がねー。
こいつらの関心の埒外の他人との関わり方が気に入らない。
信仰をもたないアホガキのくせに(否、それゆえに!)この俺様に存在しなくてもよいどうでもいい他人と同様の無関心という関心しか抱かないとは、俺を敬わない、俺を畏れない、屈辱だ。どうして立派な人物を見る目で俺を仰ぎ見ないんだ。
畜生、むかつくぜーー。

この世で最も尊いお方が目の前におわすというのに、くだらん地上的なことどものおしゃべりに興じているとは。
こんな奴らを教化してやっても仕方がないから俺は何も言わなかったのさ。

 

電車の中で感じたことを家に帰ってから再構成しようとしたら大きく逸脱してしまった。


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